3.11は、文学や演劇や芸術の見方を一変させることになりそうです。過日、月見の里学遊館で『トゥリーモニシャ』本番を無事に終えることができましたが、奴隷解放後における黒人コミュニティの連帯と自立を説くストーリーに触れた観客の誰しもが、現在私たちが抱えている困難と不安の克服を連想せざるをえなかったようです。おそらく、日本中の劇場で同じことが起きているでしょう。

ポストモダンな「解釈の多義性」は、言うなれば、安定した平時だからこそ可能だった、知的ゲームに過ぎなかったのではないでしょうか。現在のように、震災と原発という二重苦に、被災地のみならず日本中が苦しめられている状況では、文学や演劇や芸術に対する「多義的な解釈」など生じようがなく、誰しもが、重苦しい現実と作品世界とを我知らず比較し、良し悪しを判断することになってしまうんじゃないでしょうか。

むろん、安定体制下で知的遊戯を繰り広げるのが、悪いわけではない。むしろ演劇・芸能活動は、公権力の庇護の下で遊戯を繰り広げる道化的存在であることが常態だったと言ってもよい。例えば鎖国体制の中、江戸幕府の公認イデオロギーの喧伝を担ったプロパガンダ装置であったからこそ、歌舞伎はあれだけ発展したのでしょう。評判記なるものが登場し、何代目が良かっただの悪かっただの、批評眼を磨いて「解釈の多義性」を競い合う楽しみも生まれたわけでしょうし。

ただ、平時が非常時に移行したときに、では文学や演劇や芸術がどのように形を変えるのか。生半可な「解釈の多義性」など生じようがないくらいに切迫した状況下で成立する、文学や演劇や芸術とはどういうものか。

思えば、戦後文学の出発点とはそのようなものだったのかもしれません。このあいだ私は、河合塾コスモの発表会で三島由紀夫の『弱法師』を演出しましたけれども、これなども3.11以後に見ると、見え方が大きく変わるでしょう。「阿鼻叫喚の響きが聞こえる」「無数の死体が河を流れる」といった描写があり、主人公俊徳を演じた青年に、私は「これは事実このままなのだ。空襲によって現出した風景の描写に、なんら嘘があると思ってはいけない。比喩でもなんでもない」という話をしたんですけれど、今ならこの芝居なんて、ちょっと痛々しくて見ていられない感じがすることでしょう。

対するに、戦後演劇には、戦後文学と比肩しうるほどの収穫がない。ポスト・カタストロフィという観点から評価しうるような緊張感がない。これはやはり、平時においてこそ華を咲かせるというジャンルの特性に由来するのかもしれません。アングラ演劇が登場するのも、高度成長に突入してから後の話ですから、やはり平時の出来事ですね。

もちろん世界に目を転ずれば、例えばブレヒトは第2時大戦中、ナチスに敵対して世界中放浪していたわけですな。古代ギリシアのアリストファネスは、ペロポネソス戦争の渦中で反戦喜劇を書いていました。だから、非常時だからこそ成立する演劇活動ってのも、本当はありうるはずです。いつも持ち出す話で恐縮ですが、批評家スーザン・ソンタグが、サラエヴォで『ゴドーを待ちながら』を上演したことを想起しても良いでしょう。

ところで私は3.11当日、静岡市美術館で谷崎潤一郎『鍵』の稽古をしていました。お客様が来て下さったので本番まで敢行しました。ビルが揺れて警報がビービ―鳴っている中で、脚フェチの変態っぷりを演出し(ただ谷崎が書く性癖に共感しか覚えない私からすれば、どこも「変態」ではないわけですが)、こりゃきっと死ぬときは劇場で死んじまうなあ、と己の業の深さにつくづく感じ入りました。思えば『鍵』も、谷崎が関東大震災後に関西に移ってから書かれた後期の作品で、ポスト・カタストロフィの文学と評しうる緊張感に満ちておりますな。これは本番が終わってから気づいたことですが。

もっとも、まだ私たちは「ポスト」どころか、非常時の渦中にいる。それどころか、列島に林立する原発と、活発化する地震活動に想到すれば、この非常時は、永続化されるのではないかとすら思える。これから「超法規」という言葉が頻繁に登場することでしょう。非常時が永続化され、日本という国家の消滅すら絵空事ではなくなった今こそ、世界史上の才能ある創作家たちの軌跡を手本としつつ、私の仕事が始まるのだと思っています。