静岡版『世界は踊る』無事終了いたしました!


静岡版『世界は踊る ~ちいさな経済のものがたり~』の本番が無事終了いたしました。ご来場・ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました!

これで、およそ1年がかりのプロジェクトが、ようやく終了したことになります。まだツアーは続いていて、今週末は宮崎公演ですので、九州方面の方はどうぞ御覧下さい。

40歳にして、自分の専門とする分野について学び直す機会など、そうそう訪れないと思いますが、このプロジェクトでそれが可能になりました。最後の1週間、パスカル・ランベール氏の手足となって飛び回ることができて、本当によかったです。この1年は、大学に入り直すとか海外留学するとか資格をとるとか、私の人生にとってそういう意味を持った1年となったような気がします。

31名の出演者は皆素敵な人たちで、本当に出会えてよかったです。おそらくこの舞台を通して、自分が生きていることの意味を確かめたい、と考えた人が多かったのではないかと思います。実人生がそうであるように、誰が主役で誰が脇役というわけでもなく、それぞれが精一杯生きて、いつかはこの人生という舞台から退場してゆく。そんな、当たり前といえば当たり前のことを表現している作品なので、何か格別な発見があるわけではなかったと思いますが、それでも、当たり前のことを驚きの目をもって見つめるというのは、それ自体貴重な機会ではなかったかと思います。日常の動作を無対象で再現するという、ただそれだけの行為が、私たちの日常の暮らしを再発見させてくれました。それが何の役に立つかと問われれば、もちろん何の役に立つわけでもないのだけれど、でも出演者ひとりひとりを、そして共同演出担当の私を、一回り人間的に成長させてくれたような気がします。観客の皆さんにも「人生って何だろう?」という問いかけがちょっとでも伝わっていれば、嬉しく思います。

この問いかけとは、柄谷行人氏がカントを引いて言う「超越論的な態度」というやつでしょう。「超越的」に、神様の視点で物事を眺めるのでもなく、「内在的」に、自分の主観に埋没するのでもなく、「内在」しつつ「超越」するのが「超越論的」。自分の認識それ自体を問うメタ認識ですな。柄谷氏が例として引いているのはエドガー・アラン・ポーの短編小説「メールストロムの旋渦」で、主人公は、大海の只中で渦巻に呑まれ、死ぬことを覚悟しながら(=内在的)、この渦巻のメカニズムを見届けたいという意欲に促され(=超越的)、渦巻の中でひたすら渦巻を観察するんですな(=超越論的)。観察したところで死んじゃうわけだから、何の役に立つわけでもないんですが、人間というのはそういう「超越論的な態度」をとることがある。『世界は踊る』も、そんなお芝居だなあと感じました。ちなみに「メールストロムの旋渦」の主人公は、この渦巻の観察が幸いして、死を免れます。つまり、「超越論的な態度」が、たまたま役に立つこともあるようです(笑)。

ということで、『世界は踊る』が出演者・鑑賞者の皆さんの人生に、ご多幸をもたらしますよう祈願申し上げます。

私個人としては、ジュヌビリエ滞在に始まる共同演出の仕事はもちろん、テクニカルや翻訳のチェック、キラリ☆ふじみでのレクチャー、広報・営業活動、スノドカフェさんに助けていただいたプレイベントの出演、宮沢けいすけさん・中島壽志さんをお招きしたプレトークの開催、キーワード集の執筆などなど、全力を尽くしました。悔いはありません。

パスカル・ランベール氏らツアーメンバーが参加した稽古初日に、女優さんたちを含めてみんな客席で見ていてほしいとお願いして、いきなり静岡の出演者だけで通し稽古を見せたんですな。そこでパスカルたちのテンションが一気に上がったと感じましたので、私としては、あの瞬間に成功が約束されたのだと今にして思います。

では最後に、当日配布物に執筆した文章を掲載しておきます。

 

季節は巡る、世界は回る

大岡 淳(SPAC文芸部)

ヨーロッパを寒波が覆った昨年の12月から今年の1月まで、フランスのパリ郊外に位置するジュヌビリエという町に滞在し、ジュヌビリエ国立演劇センターという劇場で、この『世界は踊る ~ちいさな経済のものがたり~』の稽古に参加した。フランス国内を巡演したのち日本の3都市で上演されるこの芝居を、受け入れる準備のためである。出演者の主体は各地域で生活する一般市民であるため、この芝居は、地域ごとに色合いを変えてゆく。フランス勢が来静する本番1週前までに、静岡県民出演者の稽古を重ね、パスカルが好きなようにアレンジして作品のクオリティを高められるように、きちんと下地を作っておくことが、私のミッションとなった。

稽古は今年8月の下旬から始まり、ムーブメントの練習と共に、この芝居のコンセプトを出演者と共有することに力を注いだ。9月に他界した評論家の武井昭夫は「演劇とは戯曲の思想と俳優の思想との激突である」という言葉を遺している。今回の芝居の中心は身体表現であるけれども、その深層では、フランスからもたらされた世界経済への批判的視座と、静岡県民出演者の生活実感とが激突する、精神のドラマが演じられている。そのドラマをいささかなりとも感じ取っていただければ、この芝居はパスカル・ランベールの演出作品であると同時に、私の演出作品ともなるだろう。

最後に、コーラス指導の戸崎裕子先生には、この現場を、それこそ技術面のみならず精神面においても支えていただいた。改めて謝意を表したい。

 

コーラスの素晴らしさは、静岡版の特筆すべき点だったと思います。これは、指導者である戸崎裕子先生をはじめとするメンバーの皆さんの、高潔な精神性の賜物でしょう。フランス版にもなかったものだと思います。広義の宗教性とでも言うべき何かを感じました。うまく言えませんが、ここからまた何かが広がっていくように感じています。