いろいろ書くべきネタがあるのですが、どうもこう暑くては、筆が進みませんわ。仕方がないので私事を書きますが、4泊5日で犬島・小豆島・岡山市内・倉敷市内を回る旅行にお嫁さんと出かけてきました。瀬戸内国際芸術祭を初めて覗きましたが、なかなか素敵でした。犬島の精錬所は神秘的でドキドキさせられましたし、維新派もエンターテイナー精神を発揮して健闘していました。岡山市内ではアートスペース油亀を訪れ、細川敬弘という作家さんの備前焼に感激して数点を予約し、倉敷市内では大原美術館を訪れ、作品と建築の調和に驚嘆しつつ、とりわけ工芸館の内容に感動いたしました。ワークショップを手がけるようになってから、私は柳宗悦の思想と業績に注目するようになったのですが、彼が創始した民芸運動こそ、21世紀以降に展開する文化芸術シーンの、源流に位置するものと確信しております。柳宗悦が提起する「用の美」が、坂口安吾の「日本文化私観」と不思議に重なっているのも面白いところです。これに比して、芸術祭の内外で接した現代美術家たちの作品は(維新派も含め)、ナショナリズム批判というテーマばかりが目につき、大きく見ると「夏といえば反戦平和」という紋切型に陥っている気がしました。そのような紋切型の反復こそ、よほど君たちの嫌っている「国民の物語」を強化するものではないのかね? 少なくとも現下のナショナリズムについては、「戦争責任」「天皇制」云々よりも、グローバル化への反動として発生しているという政治経済的なメカニズムを浮き彫りにしなきゃいけないんじゃないのかね?? あるいは、直截に「社会派」を気取りたいのなら、沖縄をテーマにするべきなんじゃないのかね???

……なんて思ったりしながら、この他にもあちこち回りまして、お嫁さんの行動力のおかげで盛りだくさんの旅行となりました。

それにしても、利賀とかPMFとか越後妻有とか瀬戸内とか、夏は芸術鑑賞がてら国内旅行に出かけるという習慣が定着してくれるといいですね。それには「芸術の秋」ってフレーズが目障りなので、文化庁は「芸術の夏」キャンペーンを大々的に展開してはどうでしょうか。芸術祭こそ、地方分権のシンボルにふさわしいと思うんですが。ただそれは文化芸術が素晴らしいものだからシンボルになるというよりも、観光客を積極的に受け入れることで、文化芸術を核とする地域ごとのホスピタリティが自然と醸成され、美的に洗練されるという点に、社会的意義があるように思います。そしてこの手の芸術祭では、ボランティアの若者の働きは今や不可欠でしょうが、彼らも別に「末は博士か学芸員か」なんていう目的ではなくて、「顧客満足」を「顧客感動」に発展させる接客の工夫という観点から、アーティストの創造する空間演出なりパフォーマンスなりに学んでもらう、というのがいいでしょう。つまり、知識産業化の時代においては、文化芸術の新たな有用性が生じつつあるということです。

岡山は、以前から感じていたことですが、非常に美意識の高い地域なので、町並みから工芸品に至るまで、伝統と現代が無理なく融合しているという印象が強く、無味乾燥な東海道(笑)に暮らす私としては、これこそ本当の「オーガニック」だなあ、と心癒されましたです。で、こっちに戻って思うことですけど、静岡県はとりあえず、駿府城の天守閣を復元してみてはどうでしょうね。今のままでは観光資源が少なすぎます。家康を誇るのであれば、お城くらい残しておかなきゃダメでしょう。日清戦争のときに陸軍に提供して潰しちゃったんだそうですが、何をやってるんですか!

さてさて、たまった仕事を片付けなきゃいけませんわ。まだ公にできないプロジェクトばかりですが、それなりに大きな仕事の発注をいくつかいただいています。私は基本的に地味なことをコツコツやっているだけで、自分を売り込むのも下手糞で、技術の向上には人一倍時間がかかり、なんだかんだ言いながら悪い意味で職人気質なのかなあ、と自覚していますが、それでもどこで聞きつけられたのか、私の実績を評価して下さるクライアントの皆様がいらっしゃるというのは、この御時世、本当にありがたいことです。改めて感謝申し上げます。

最近心がけているのは「簡単な仕事と難しい仕事では、なるべく難しい仕事を選ぶ」ということです。ここに書いたことで言えば、例えば河合塾コスモでは、今年は従来の仕事に加えて、英語小論文の指導に挑戦しているわけです。既にできることを反復するのは、確実にお金になるし自己満足も得られるんですが、鈴木忠志氏がよく口にする「自分を鍛える」「自分を試す」という緊張感が得られませんね。私はやりたい仕事しかやっていないので、せめて惰性に流れることのないように、常に前進する感覚だけは失ってはいけないと思っています。逆に言えば、停滞する度合いの大きい仕事は、なるべく捨ててしまった方がいいのでしょう。

有名人の仲間入りをしたいなんて、20代の頃は本気で思っていて、つまりそれが自分のやりたいことの先にある目標だと思い込んでいたのですが、40歳の今はもちろん考えが変わりました。少なくとも仕事に関する限り、結果は後からついてくるのであって、自分から求めるものではないですね。自営業者としての私が今イメージしているのは、ひとつの仕事の後に続くのは次の仕事であり、他の何物でもない、ということです。仕事の可能性や発展性や連続性は、飽くまで連鎖する仕事(=他人の要求に応える行為の累積)の内に求められるのであって、その外に派生する報酬や名声に見出されるわけではない。やっとそんな当たり前のことが飲み込めてきました。いかに鈍重に見えようともこの着実さが、私にとっては生きていくための武器ですね。自分には最初からこのやりかたしかなかったんだ、ということに、今更気がついています。