本日、5月18日で37歳になった。こんなふうに無駄に歳だけとってゆくことの滑稽さについては、事改めてここで述べることもないだろう。それより、最近気づいたことを記しておく。

私が演劇活動を始めたのは15年前の学生時代で、その時点で想定していた近未来の像は、今振り返るとことごとく間違っていた。ただそれでも、想定していなかった状況の変化に応じて様々な現場に首をつっこんで、自分なりに状況をキャッチアップしようと悪戦苦闘したこの15年間に経験したことと比べてみると、結局は、15年前に考えていたことがいちばん正しかったという気がする。何もわかっていなかったと言えると同時に、何もかもわかっていたとも言える。

ただ問題は、その思索の内容が正しいかどうか、確信が持てなかったがゆえに――あるいは、本当は確信を持っていたからこそ、そこから出発して孤独な道を歩む困難を回避したかったがゆえに――実際に選択した行動の数々が、その思索をストレートに反映したものではなかったということだ。簡単に言えば、あれやこれや色気を出しすぎたのだ。

だが今になって、私は、22歳の頃に考えていたことが間違っていなかったと悟ってしまった。とすると37歳の私の課題は、15年前に抱いた思索の核心に降り立って、今一度選択すべき行動を絞り込み、捨てるべきものは、ひとつひとつ捨てていくということだろう。

果たして、そうすると何が残るだろうか。残るものがあるのなら、それを形にしてみたいという気はする。何も残らないのなら、それもまた人生だろう。