紫陽花革命は安保闘争たりえない。


大飯原発の再起動・再稼働を阻止する運動が盛り上がっており、20万人近い人々が、首相官邸前に集結したそうである。安保闘争との類似を指摘する声もあるが、私はむしろ、大規模な抗議行動だからこそ、安保闘争との相違が気になって仕方がない。

安保闘争は、三井三池闘争と直接間接にリンクするものであった。冷戦への加担を意味する新安保条約締結を進める政府への怒りと、エネルギーの転換(石炭から石油へ)に伴う大規模な合理化を進める企業への怒りが、そこでは重なっていた。つまり、国家が敵であり資本も敵であるという社会状況が存在したからこそ、運動の現場で学生と労働者が連帯することもありえたわけだが、脱原発運動はその点が大きく異なる。エネルギー政策の転換によって切り捨てられる労働者の利害と、エネルギー政策の転換を要求する市民の利害が、衝突してしまっている。従って、脱原発運動が、安保闘争がそうであったような「国民運動」に拡大することはありえないだろう。少なくとも、運動の当事者が、現に原発で働いている人々や、原発のおかげで財政が維持できている自治体の人間を説得しよう、という強固な信念を貫かない限りは。

もっとも、原発で働く人々や、原発で利得を得る人々が、脱原発に対して不安を抱いているのは杞憂に過ぎないという指摘はある。つまり、再稼働を阻止し、さらに進んで全ての原発を廃炉にしてしまえば、そこに廃炉ビジネスが成立し、雇用は維持できるということだ。また、電力3法交付金は、原発停止中でも支払われるのだそうである。大飯町議会でただひとり再稼働に反対した、猿橋町議の意見が明快である。とはいえ原発自治体では、「原発がなくなればこの町はおしまいだ」と反発している人たちは少なくないだろう。彼らを説得することなくして脱原発に舵を切るのは、原発が強硬に導入された経緯と同様、いささかも「民主主義的」ではなく、「都会の人間の気まぐれに翻弄されるのは常に地方だ」としか見えないことを、脱原発派は肝に銘じてもらいたい。

地方に原発をおしつけ、これまで30年40年にわたり電気を使いたいだけ使い、さんざん文明社会のメリットを享受しておいて、事故が起きて自分の身に危険が及んだとたんに「この地震列島にいつの間に54基も原発を作ったのか」「原子力村の横暴だ」「もう原発はやめろ」と、都会の人間が騒ぎ始めた。首相官邸前のデモを、そう見ている地方生活者は少なくないはずだ。「いつの間に」とは何事か。無関心だったから気づかなかっただけ、あるいは、見て見ぬふりをしてきただけではないか。もっと言ってしまえば、首都圏に近い福島で事故があったから、首都圏の人間は放射能を恐れているのではないか。これが、北海道や九州で起きた事故であったら、果たして20万人が集まっただろうか。つまりは、単なる都会人のエゴではないのか。同じエゴとエゴのぶつかり合いなら、なぜ原発自治体の側が折れなければならないのか。

もうひとつ、エネルギー政策を大胆に転換するとしても、ただちに電力供給が安定するわけではない、という問題がある。節電が必要なのか必要でないのか議論はかまびすしいが、生産設備を日々稼働させている事業者としては、電力供給に不安がつきまとうのは大きなリスクである。例えば先端産業では、供給量や価格が不安定だというだけで、他国のライバル企業にマーケットを奪われるという厳しい状況が存在する。もはや先端産業といえど、日本ブランドだけでは商売ができない大競争時代である。ただでさえ生産拠点の海外移転が進む中、原発依存からの脱却は、産業空洞化(あたりまえすぎてこの言葉は死語になってしまった)を促進し、いったん海外に移転した生産拠点は、たとえ再生利用エネルギーによる電力供給が安定したとしても、もう日本には戻って来ないだろう。雇用の減少はジワジワと進行してゆく。脱原発派に、それを甘受する覚悟があるか。あるいは、「それは企業が内部留保を取り崩してなんとかしろ」とでも言うのだろうか?

こう書くと、原発推進派の物言いとしか見えないだろうが、私は静岡に暮らしており、震災以前から、浜岡原発に恐怖を感じてきた人間である。再稼働はもちろんやめてほしいし、できれば廃炉にしてほしいとも思う。つまり脱原発派だ。しかし静岡でそれを大声で主張することは憚られる。浜岡原発に関しては、御前崎市民の自発的な判断を契機として廃炉に持ち込んでもらうのが一番だと思うからだ。

そのような地方生活者としての視点から言えば、再稼働阻止のデモを「紫陽花革命」などと称するセンスは、全く理解できない。昨日まで無関心だった人々が、己の身に危険が及んだとたんに騒ぎ始めた事態の、いったいどこが「革命」なのか。そういえば昨年9月11日、新宿アルタ前のデモで、文芸批評家の柄谷行人は「デモをすることで、デモをする社会を作れる」と演説していた。このあたりが「革命」というネーミングの由来になっているのかもしれない。私にはこの点も理解できない。原発が止まりさえすれば、手段などどうでもいいではないか。デモだろうが、議会制民主主義だろうが、米軍の圧力だろうが、原発を止めてくれさえすれば、それでいいではないか。逆に、デモは結果を生まなかったが、「デモをする社会」に一歩近づいたからそれでいい、などという話は通らないはずだ。もしそれでいいのなら、このデモはしょせん、格差社会に苛立つ人々のガス抜きとして機能したということにしかならないだろう。

もう一度、安保闘争を振り返ろう。樺美智子氏が亡くなった1960年6月15日、日本全国で580万人がストライキに参加したそうである。ただその安保闘争ですら、現実にできたことは岸首相を退陣させることだけだった。しかも「あのとき安保条約を破棄しておくべきだった」と総括する声を、私は寡聞にして耳にしたことがない。これは、580万人が判断を誤ることすらありうるという話ではないのか。いやもちろん「デモをする社会」は大いに結構だ。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とする日本国憲法第21条は順守されねばならない。そして「デモをする社会」のおかげで本当に原発がなくなるなら、なおのこと結構だ。ただ「紫陽花革命」の「紫陽花」は、都会にしか咲かない花であり、季節が過ぎれば枯れてしまう花ではないか。私はそのことを危惧する。