山田順『出版大崩壊 電子書籍の罠』(文春新書)読了。読みごたえがあって面白かった。電子書籍市場においてコンテンツ制作者は儲からない、アップルやアマゾンやグーグルのような「場の提供」しかしていないはずの業者だけが独り勝ちをする構造になってしまっている、にも拘わらず、デジタル化は押しとどめようのない趨勢であり、出版は産業としては衰退の一途をたどるほかない、ということが論じられている。事は出版にとどまらず、テレビや新聞を含めたマスコミ、あるいは音楽産業も、凋落は目に見えている。そして、電子書籍時代においてはセルフ・パブリッシングが活況を呈するであろうから、読者は真贋を見極めることができず、その中に宝石があったとしても膨大なゴミの山に埋もれてしまうだろう、というのが著者の訴えるところである。

全体としてのトーンは悲観的だが、これはもちろん、出版産業に身を置く立場からの観察だからである。私のように、自分の学歴を使って商売をしたことのない人間からすれば、大手マスコミの中枢(末端ではない)で働く人々の学歴エリートぶりを鼻持ちならないと感じたことは幾度もあったし、少なくとも90年代以降に限っては彼らが本当に優れた作家やクリエイターやアーティストを世に出してきたかどうかは疑問だし、そもそも、情報を右から左に流すだけで高額年収が約束されていること自体が、異常なことだったんじゃないかと言わざるをえない。出版について言えば、これだけ巷に書物が溢れ返っていることの方が人類の歴史からすれば例外的で、これから本は本当に書きたい人だけが書き、読みたい人だけが読むという、本来の形に戻るだけだ――なんてことを、どこかで橋本治も言っていた。山本夏彦だって繰り返し言っていたではないか、「出版は商売にあらず」と。

対するに、私が身を置く舞台の世界など、最初から商売にならないことが前提である。幸か不幸か、デジタル化によって代替が効かないこともその特徴だ。同じく表現者と言っても、商売にならないなりに細々と食いつなぐことを工夫している私らからすれば、デジタル化によって産業が衰退するなんて、いったいどこの世界の話だろうという気がする。音楽産業が衰退すると言ったって、それは主に「J-POP」で食っている連中の話であろう。妥協も迎合もせず、インディーズで粘り強くやっているミュージシャンたちは、デジタル化で恩恵を被ることの方が多いはずだ。書き手だって、うかつに商売にしちゃうから、政府だの東電だのの飼い犬になるんだろう。ガチ反骨で文章を書いている人たちが、無償のブロガーとして名を上げている現状の方が、私にはよほど健全に思える。もちろん、編集者をはじめとする、出版で働く人々の共同作業によって生まれる著作のよさがあることは、重々認める。ただそれは、時代と共に消えゆく存在だとしか言いようがない。そして、それでも人類は、文章を書くことをやめないだろう。

著者はあえて、悲観的なトーンでこの本を書いた。それに対して、私はあえて、楽観的なトーンで応じてみたい。書きたい人が書き、読みたい人が読む。歌いたい人が歌い、聴きたい人が聴く。それで何か不都合があるだろうか。20世紀にのみ成り立った商売は淘汰されてしまうが、そもそも市場経済とはそうしたものだ。確かに、アップルだのアマゾンだのグーグルだの、獰猛な連中が「スタンダード」を構築して暴利を貪るのをどう抑制するかは課題であろう。しかしそれ以前に、さんざん小泉構造改革を礼賛して世論を誘導し、今また小沢一郎を葬り去ろうと躍起になっているのは、大手マスコミ自身ではないか。よもや、自分たちだけは規制によって保護してほしいなどと言うつもりはあるまい。デジタル化、電子書籍化、大いに結構ではないか。