PARC自由学校「連帯のための哲学」、残り1回となりました。


これから、SPAC高校演劇フェスティバルの当日配布物に書くことを決め、各大学の成績をつけ、PARC自由学校で来年度コーディネートする講座のパンフ用原稿を書き、月見の里学遊館のゴスペルライブで使う台本を仕上げて、『踊る世界(小)経済史』の準備を進め、コスモの発表の準備もやり、それから、『ペール・ギュント』のプレトークの準備をして、それからそれから、ああそうだ、学遊館関連でやらなきゃいけないことがまだ色々あったんだっけか。

フランスから帰国して早くも1ヶ月になろうとしていますが、手帳を見てみると、帰国した翌日お休みした以外、1日も休んでおりませぬ。先週は(財)地域創造の講師で鹿児島に出かけてましたし。またしてもこんなハードワークの日々に戻ってしまいました。せめて週1日くらい休みたいものです。引っ越しするから部屋探ししなきゃいけないし。ああそうだ、あと確定申告もしなきゃ! うぎゃー!!

昨日は、PARC自由学校の「連帯のための哲学」で、廣瀬純さんのお話を聞きました。http://www.geocities.jp/mqytp272/

運動も映画も、全ての記号を肯定する絶対的デモクラシーのあらわれと考えれば、本質は同一である。パオロ・ヴィルノ『マルチチュードの文法』の訳者にふさわしい、面白いお話でした。

レクチャーの後半で、映画についてあれこれお話できたので楽しかったです。ゴダールやオリヴェイラの名前が、PARCで聞けるとは思いませんでした。私は今でこそ演劇人ってことになってますけど、20代の頃は、演劇よりはるかに熱心に映画を見ていました。『アブラハム渓谷』や『階段通りの人々』をはじめとするマノエル・デ・オリヴェイラ監督の作品を追いかけたり、『そして月も踊る』をはじめとするガリン・ヌグロホの特集上映に通ったり、『パンと植木鉢』をはじめとするモフセン・マフマルバフの特集上映に通ったり、今にして思えば、演劇青年というより映画青年だった気がします。30歳を過ぎてから映画を見る余裕がなくなってしまいましたが、TSUTAYAでハリウッド映画だけはなんとか追いかけています。デヴィッド・フィンチャーとかM・ナイト・シャマランとか、なおも異才を輩出するんだから、ハリウッドは馬鹿にできないですね。

映画業界とは全く出会いに恵まれず、今に至るまで何の接点もなく来ましたので、せめていつかどこかで、映画にまつわるエッセイでも書いてみたいですな。日本近代文学に関する薀蓄は現代文講師の仕事に役立ちましたから、映画に関する薀蓄もお金に替えてみたい(笑)。ついでに、残念ながら、美術館やコンサートに通う余裕は完全に失ってしまいました。20代から今に至るまで、ただひとつ続けているのは読書だけですが、それにしたって最近は分厚い本を読まなくなっているので、ダメですねえ。

さて、この「連帯のための哲学」も、残すところあと1回です。最終回は社会学者の北田暁大さんをお迎えします。この講座についての個人的な総括は、最終回の後で詳しく書きたいと思います。